2017年7月29日土曜日

CTを撮ってきました。

 半年に一度のCT撮影の日でした。大腸カメラと比べると大したことは無いのですが、造影剤を入れるので、家族の承諾書を出さなくてはなりません。
 大腸ガンは、腹膜、肺、肝臓のあたりに転移することが多いとのことですから、CTも肺から骨盤までを撮影するようです。

 結果は一週間後、大きな病院なので、何をするにも時間がかかります。

 実は、少し前から、下腹部に違和感があって、すっとイヤな予感がしていたんです。でも、結果は異常なしでした。
 何だったんでしょうね。単なる筋肉痛か、手術の跡が痛んでいたのか、よく分かりません。心配ならカメラをやりましょうかって云ってくれたんですけど、やめときました。12月になればどっちみちやりますからね。

 で、半年先のことですけど、大腸カメラの予約をいれました。12月25日です。直腸癌の手術をした日と同じです。
 ってことは。クリスマス・イブの日に、検査食を食べているってことですよね。まあ、今さらどうでもいいことですけど・・・・。

2017年7月2日日曜日

小林麻央さん

 先日、お亡くなりになられた、小林麻央さんの闘病ブログ「KOKORO.」は、海外にも知られ、多い日には、1億ページビューを数えたそうです。麻央さんのブログでの最期の記事は「オレンジジュース」、最後の言葉が、「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように。」でした。

 幼い子どもを残して、人生を閉じなければならない母親の無念はどれほどのものか、想像すらできません。

 彼女のブログから影響を受けた方も多いと思います。そちらに関する話題については、僕は何かを云えるような者ではありません。かと云って、闘病ブログの端くれとして、スルーするのも失礼かと思い、感じたことを書かせていただくことにしました。
 同じ闘病ブログと云っても、僕の最新記事は、「尿取りパット」ですし、最後の言葉は「いきんだら人工肛門」ですから、麻央さんのブログとは、天地の違いがありますけど。

 ネット情報によると、人間ドックで異変が見つかったのが3年前。その時は、良性と診察されて、念のために6(3)ヶ月後に再検査を勧められたそうです。で、8ヶ月後に再検査を受けて、ステージⅢの診断が出ます。標準的な治療法は、抗ガン剤と手術でしたが、温存を希望したため放射線治療(あるいは民間療法)を受けることになったそうです。
 その後、他臓器への転移が見つかり、ステージⅣの診断が出て、余命宣告があって、延命治療に切り替わります。この時に転院が行われ、マスコミの知るところになり、病気を公表、ブログの開設となっていったとのことです。

 まあ、ネットの記事ですから、どこまでが真実か分かりませんけど、矛盾点は無いように思います。

 僕もそうでしたけど、後になってみれば、あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったってことが多々あります。
 もちろん、良性の腫瘍が癌化することは珍しくありませんから、誤診とは云えませんし、忙しい身であれば受診が遅れることも仕方ありません。麻央さんは、まだお若かかったし、人前に出ることも多いでしょうから、温存を希望するのも当然かと思います。また、乳がんの抗ガン剤は、副反応として、髪の毛が抜けたりしますので、治療費がかかっても放射線治療で、となるのも分かります。
 しかし、麻央さんが一般人であったなら、もう少し違う展開になったように思えてなりません。

 ネットでは、海老蔵氏の再婚話がささやかれています。なんとも無礼な話ですが、有名であるということは、こういうことなんでしょう。長い間、病気を極秘にしていたのも当然のことです。
 そんな中で、麻央さんがブログの公開を始めたことは、大きな転換点だったと思います。ガンの闘病ブログは、掃いて捨てるほどありますが、顔写真を死ぬ数日前まで公開しつづけるブログなんて、見たことがありません。

 僕は、麻央さんは、最期までタレントとして生きたかったのだと思います。ブログの更新は、彼女の仕事であり、仕事は、家族と同様に、彼女の支えだったと思います。彼女は、タレントとしての自らの価値を利用し、公開し、ガンの闘病の実際や、自らの生き方を世間に伝えようとしたのだと思います。

 週刊誌では、彼女の治療等に関して、興味本位な記事が掲載されています。本来ならば、亡くなった人をそっとしてあげるのが礼儀なのでしょうが、彼女がブログを公開して、世間の注目を浴びることを決断した時点で、これらのことは、織り込み済みのはずです。逆に、スルーしてしまったら、公開した意味がなくなってしまうように思えるのです。

 比較的早期に発見できたのにもかかわらず、何故死んでしまったのか。治療は適切だったのか。緩和ケアのありかた。そして、末期癌の人間がどうなっていくのか。彼女から学べることは多いと思います。

 例えそれが、単なる興味本位だとしても。