2016年2月25日木曜日

アトピー性皮膚炎VS抗がん剤の副作用

 花粉症のシーズンです。で、今年は、インフルエンザの流行が遅れていますので、2つのピークが重なっているそうです。マスコミなどでは、2つの症状が重なると重症化するなんて云ってますけど、僕は、あれって、思ったんです。インフルエンザで苦しい思いをしている時って、花粉症の症状って出て無いように感じるんですけど。 

 僕は、アトピー持ちなんで、手に湿疹ができるんですよ。だから、皮膚科でもらった塗り薬をつけていたんですけど、手術した直後の体が一番しんどかった時って、症状が出なかったんです。で、体調が戻るにつれて、いつもの症状が顔を出してきたんですよね。だから、アレルギーって、体が本当にピンチで、それどころじゃ無いって云う時には引っ込んでいて、体が暇なときに出てくる症状に思えるんです。末期癌の患者に花粉症はいないなんて話もありますし。まあ、ワガママ病、贅沢病って云うんでしょうか。

 抗がん剤治療の副作用で、手足症候群ってのがあるんですけど、それをケアするために、塗り薬をもらっているんです。日常的につけるのが「ヒルドイド」で、酷くなったときにつけるのが「マイザー軟膏」なんですが、これってアトピー性皮膚炎の薬と同じなんですよね。
 自分の皮膚を傷つけるのが、抗がん剤なのか自分の免疫なのかの違いで、出てくる症状と対処療法は同じってことみたいです。

 で、僕は、朝晩せっせと手足にヒルドイドを塗ってるんですけど、結果的にアトピーの症状も治まって良い感じなんです。同じ薬なんですから当たり前の話なんですけどね。
 そしたら、先日、手に湿疹ができて、いよいよ抗がん剤の副作用が来たかって思って、マイザー軟膏を塗ったんですけど、これが一日で治まってしまって、これ、アトピーの方だったのかって思いました。まあ、どっちだろうが薬は同じなんで良いんですけどww

 手足症候群なんですが、早い人は一週間、平均で一ヶ月後くらいから、出てくるってことなんで、ちょっとヒヤヒヤしています。アトピーと重なったらどうなるんでしょうか。僕の仮説だと、そういうときはアトピーは引っ込んでいる筈なんですけど、ちょっと、楽観的過ぎでしょうかw

2016年2月23日火曜日

ミニストップの商品に詳しくなったこと

 僕の通っている病院は、1階がラウンジになっています。その一角に売店があって、ミニストップが運営しています。地元の弁当屋さんとかパン屋さんが商品を並べるスペースもありますが、レジはミニストップが一括して請け負っているみたいです。
 で、このミニストップ、お昼時に並んでいる弁当類の種類と数が半端なく凄いんです。患者、お見舞い&付き添い、病院関係者、とにかく売れまくっています。県内にミニストップが何店舗あるか知りませんけど、絶対売り上げは県下1位だと思います。

 入院してた頃は、暇だったので、たった1本のペットボトルを買うために、点滴をガラガラ引きながら、病棟から売店まで来ていました。で、僕が点滴を引っ張って歩いていると、皆さん道を空けてくれたりして、やっぱり、病院で一番大切にしてもらえるのは、患者なんですよね。ありがたいものです。
 その時は、術後ですから食事制限があって、売店で買えるのは、水分だけでしたけど、元気になったらどれを食べようかなって、美味しそうなデザートなんかを1つ1つチェックしてました。で、今それを実行しているっていうわけです。

 隣のラウンジには、今だったら、お雛様が飾ってあります。ここに通い始めた頃は、クリスマスツリーでした。その後、お正月飾りになって。次は、五月人形でしょうね。で、七夕、その後は、何になるんでしょうか。この病院とも長い付き合いになりそうですから、ぐるっと一年分、見ることができそうです。再び、雛飾りが飾られる頃、僕は、どうなっているんでしょうか。

 そうそう、先週も診察があって、病院に行ったんですけど、ちょうど家族がインフルエンザになってしまって、食事の支度ができないって云うものですから、ミニストップで、その日の夕食分のお弁当と、次の日の朝食分まで買って帰りました。両手にレジ袋をぶら下げて、売店から出てきたんで、完全にスーパーから出てきたオジさんみたいになってしまいました。
 だいぶ、売り上げに貢献していると思います。

2016年2月21日日曜日

神様がくれたプレゼント

 日本の病院は年寄りで溢れかえっている。それは、癌の専門病院でも同じ事で、今、こうやって消化器内科・外科の待合室に座っている人たちを眺めると、多分、僕が一番若い。日本の癌患者の大部分は、70代、80代の人たちだ。中には、癌を治したところで、他の病気で死んじゃうんじゃないのかな、なんて思えてしまう御老人なんかもいる。

 考えてみれば、幸せな人たちだと思う。

 僕の祖母は、脳梗塞で倒れた。最初の何年間かは、リハビリなんかに打ち込んでいたけど、やがて寝たきりになった。17年もの間、寝たきりになって、年金も貯金も全て入院費に注ぎ込んで、全てを使い果たしたあげく、死んでしまった。最後の10年余りは、ただ、生きているだけの毎日だった。見舞いに行ったところで、話ができるわけでもなく、何も分からない。僕は、祖母が死んだという連絡を受けたとき、あんなに僕を可愛がってくれた祖母だったのにも関わらず、特に何の感情も湧いてこなかった。

 これが、癌だったらどうだろう。癌だったら意識があるから、家族と最後まで想いを共有できる。癌だったら何年も長患いしないから、経済的負担もそれなりで済む。癌だったら突然倒れたりしないから、ちゃんと身辺整理ができる。そして、癌だったら終末医療が発達している。

 癌というのは、人間が人間らしく最後を迎えることができるように、神様がくれたプレゼントに思える。だから僕は、癌で死ぬことになっても別に不幸だなんて思わない。人生の終え方が何千通りあるのか知らないが、癌で人生を終えることについての幸福度は、絶対、平均値を上回っている筈だからだ。

 だけど、この歳での宣告は辛い。あと10年で良いから待って欲しかったと思う。でも、10年後に宣告を受けたとしても、やっぱりあと10年待って欲しかったと思うだろうから、同じことなのかも知れない。きっと、僕の目の前の爺さんだって、もっと生きたいって思っているんだろう。結局、癌で死ぬことは、不幸なこととしか考えられなくなってしまう。

 せっかくのプレゼントだけど、ありがたく受け取るには、かなりの修行が必要のようだ。

2016年2月20日土曜日

人が歩くということ

 皆さんご存じかと思いますが、最近は、手術したからといっていつまでも寝させてくれるわけではないんですよね。で、僕も次の日には、歩かされました。一晩経って、心電図とか酸素マスクとかを外されて、じゃあ、体を拭きましょうって、起こされたんですけど、何か貧血みたいになって、気分が悪くなったものですから、午前中に歩いてみる予定が、午後に延びたんです。

 腹腔鏡手術で、傷口は比較的小さいとはいえ、切っていることには、変わりありませんし、内臓を切り取った負担は、術式に関わらず同じですから、そりゃあ、体を起こすだけでも、一苦労です。
 
 看護師さんに支えられながら、ゆっくり立って、点滴のスタンドに完全に寄りかかって立ち上がりました。で、一歩一歩、歩いて行くんですけど、体からは、いろいろと管が出ているし、まあ、歩き始めの赤ちゃんが歩行器を使って移動するよりも、ぎこちなかったです。

 でも、一歩ずつ進んでいくうちに、だんだん、気分が晴れてくるんですよね。歩いた距離なんて、たかだか20mも無いくらいですけど、何か凄いことをやり遂げたような気分になって、凄ーく前向きな気持ちになれたんです。それまでは、厭だ厭だとか、辛い辛いなんていうことしか頭に浮かばなかったのに、一気に頭の中が清々しくなったっていう感じなんです。

 やっぱり、人間って歩くようにできているってことなんでしょうか。きっと、歩けることに喜びを感じられるように、進化の過程でインプットされているんでしょうね。

 その晩、僕は、家族にメールを送りました。今日は、お見舞いに来てくれてありがとうって、普段だったら家族にそんなメール、絶対送ったりしないんですけど。

2016年2月18日木曜日

抗がん剤、休薬期間まで、あと5日

 僕がうけている抗がん剤治療は、Xerox療法ってやつです。術後補助化学療法としては、極めて一般的な治療法なので、ネットで検索すると、幾らでも闘病記が引っかかってきます。
 で、とりあえずの関心事は、副作用なのですが、個人差がかなりあるみたいで、酷い人は、最初の点滴の時から苦しんでいるみたいです。あと、回数を重ねるにつれて、副作用が深刻になっていくという話と、様子が分かってきて楽になっていくっていう、二通りの話があります。

 ついでに云うと、闘病記の結末も、二通りの結末に分かれます。今も元気で頑張ってますってやつと、ありがとうございましたって、本人の代わりに家族がブログの最後の更新をするやつです。
 再発は怖いです。考えただけで、全てのやる気を失います。僕の再発率は高いです。怖くて検索できないくらい高いです。抗がん剤治療である程度下げられるって云われましたけど。再発率が劇的に下がるわけではありません。
 でも、今はこれに期待するしかありません。無事8クールを完遂することが中期目標です。そして、1クール目を無事終えることが短期目標なんです。

 僕は、1クール目は、深刻な副作用は現れずに済みそうです。末梢神経障害も過敏反応も笑い話にできる範囲内ですし、吐き気や下痢も薬で治まる程度です。手足症候群は、まだ現れてません。ただ、残り7クールもあるんで全然安心はできませんけど。

 副作用って云うと、髪の毛が抜ける話を聞かされましたけど、僕の薬の場合は、髪の毛への副作用は、あまり関係ないようです。まあ、口内炎で辛い思いをするくらいなら、髪の毛が無くなった方が全然マシなんですけどね。

 できればこのまま休薬期間に滑り込みたいです。休薬期間になったら何をしようかなって、夏休み前の子供みたいな心境です。 

2016年2月16日火曜日

手術日はクリスマスイブ

 内視鏡科の先生に、3週間前に行った検査の結果を聞きに行ったら、「ズバリ言って癌です。」って告知されて、その日のうちに、大腸外科に回された。
 で、手術をしますってことになったんだけど、いきなり「いつが良いですか。」って云う話になった。だいたい、癌があったことさえ、さっきまで知らなかったんだから、手術の希望日なんて考えられるわけがない。「まだ、初期の癌ですから、そんなに慌てることもないんですが、最短でこのあたり。」2週間後?無理だ。そんな直近では、仕事が休めない。定年後の年寄りじゃあないんだから。「いっそのこと、年明けでも構いませんよ。」それはそれで、キビシイだろうって。癌があるって分かっていながら、2ヶ月もほったらかしにできるほど、僕は、強い精神力の持ち主じゃない。

 結局、年末に手術をして、年末年始の休みの前後に有給休暇をつけたせば、みんなに迷惑をかけることもないだろうってことで、24日に手術をすることをその場で、しかも一人で決めてしまった。「では、入院は2日前からですから、22日。退院は、問題が無ければ31日くらいには出来るでしょう。手術室の予約を入れておきますね。」
 みんなには申し訳ないけど、少し早めに年末休みに入って、正月休みを自宅療養に当てれば、仕事を極力休まずに済みそうだ。僕は、仕事のことばかり考えていて、24日がクリスマスイブであることをすっかり忘れていた。もっとも、僕の家では、今更クリスマスイブだからと云って、何をするわけでもないから、全然問題ないのだけれど。

 で、職場に戻って、上司に手術のことを報告したんだけど、なんの話もなかったところに、いきなり「癌の手術日決定!」なんて云うお知らせをしたものだから、みんなをビックリさせてしまった。

 ところが、手術日の数日前になって、いきなり外科の先生から、家に電話がかかってきた。「申し訳ないけど、手術日を25日に変えていただけませんか。」こちらは、やってもらう身だからいっこうに構わないし、入院の準備なんて全然出来ていなかったから、かえって好都合というものだ。
 しかしまた何で急に。ってまさか、先生、クリスマスイブに予定が入ったのだろうか。家族から責められて困惑している外科の先生の姿が目に浮かんできたw。

 というわけで、手術は25日になった。23日に入院して、先生に、手術は午前ですか午後ですか、って聞いたんだけど、先生は、どっちだったかなあって感じで、「後で看護師に連絡させます。」だって。まあ、直腸癌の腹腔鏡手術なんて、毎日ってくらいやっているのだろうから、そんなものなんだろう。でも、このユルさが、かえって僕を安心させてくれた。

 で、僕はクリスマスイブを病院のベッドで迎えることになったんだけど、手術の前日だから絶食で水分しか取れないし、腸を空にするために処方された下剤のおかげで、夜中にトイレに籠もったりして、人生で最悪のイブになってしまった。

2016年2月15日月曜日

ヒエラルキー

癌とひと言で云っても、発生する部位によって、症状も様々である。全く別の病気と云っても良いだろう。僕の場合は、直腸とS字結腸の間にできたので、お医者さんによって、直腸癌って云う人と、大腸癌って云う人がいる。まあ、直腸癌の方が何となくカッコ良いような気がするから、ここでは、直腸癌ってことにしたいと思う。あの「北の湖理事長」と同じ病名だし。
 
 で、今でこそ、リンパに広く転移が見つかったんで、ステージⅢCとなっているが、当初は、癌も小さいんで、ステージⅠ扱いだった。直腸癌のステージⅠっていうのは、生存率も95%以上あって、手術で取れば直るんでしょ、みたいな扱いだ。しかも手術方法も腹腔鏡なんで、傷口も小さくって良かったね、って感じだった。つまり、ものす凄ーーく、簡単に考えられていたわけだ。

 僕の病院は、田舎には全然似合わないほどの、とっても大きな癌の専門病院なので、毎日何千人もの癌患者が通ってくる。その中でも僕は、ヒエラルキーとしては、最下層の癌患者なのだ。

 では、一体、ヒエラルキーの高い癌って何だろうって話題になったことがあったのだが、何と云っても「膵臓癌」だろうってことになった。膵臓癌になって生還した人なんて聞いたことが無い。膵臓癌こそキングオブ癌だ。あと「脳腫瘍」とか凄いよね。とか、「胆管癌」って何だろうとか、「小腸癌」なんて超レアな癌だと、きっと病院中の注目を浴びるだろうとか、まあ、無責任で勝手なことばかり話していた。

 どの病気でもそうだが、患者って云うのは、病気自慢をしたがる傾向がある。で、エレベーターなんかに乗っていると、「俺は肺癌でね。三分の一取ったんだけど、残りも悪くってさ、もう長くないんだよ。」なんていきなり話しかけられる。さすが癌の専門病院だ。「へえー、肺癌かあ、凄いな。」なんて、単純に思って「僕は、大腸癌なんです。」と云って、ペコリと頭を下げたりすると、これはもう完全にヒエラルキーだ。

 でも、どう考えても、大腸癌のヒエラルキーは、最下層から脱出できそうもない。患者数は多いし、ほとんどの場合、手術によって完治するし、話題だって「人工肛門にならなくって良かったね。」とかそんな話ばかりだ。

 ただ、癌というのは、転移する。直腸癌の転移先は、主に肝臓や肺だ。でも、例え肝臓に転移しても、僕は肝臓癌の患者として扱われることは無いのだそうだ。どこに転移しても、僕は、あくまでも、ヒエラルキー最下層の、直腸癌の患者なのだ。

2016年2月14日日曜日

ブログ開設にあたって

 昨年の秋に癌が見つかり、年末に、入院・手術しました。手術そのものは無事終わり、とりあえずは安心と思っていたのですが、少し考えが甘かったようです。思っていた以上に転移が進んでいました。告げられたステージは「ⅢC」です。先日より抗がん剤治療が始まりました。

 こんな、あまりにも個人的な話題を、ブログに書くことについて悩んだのですが、抗がん剤治療は、8クール繰り返しますので、記録をとっておくと良いと聞きました。で、もともと筆無精な僕も、「松浦亜弥&初音ミク」のブログ記事だけは、更新してきましたので、記録代わりに書き込むことにしました。書くことによって楽になりたいという思いもあります。

 ただ、僕は強い人間ではありませんから、とりえずコメント欄は作らないでおきます。

 まあ、別に余命宣告されたわけでも無いんで、松浦亜弥さんと初音ミクの「表ブログ」も、そしてこの「裏ブログ」も、のんびり書いていこうと思います。